船内について

町内に残る史跡

古文書

船内について

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船道具

霧中号角むちゅうごうかく(VR)

霧が濃いときに鳴らす霧笛で、船の出港時や入港時に用いました。気密な空間の体積を変化させることによって空気を送り出す鞴(ふいご)を使って、鞴に取り付けられたラッパ状の筒から音を出し、周囲に知らせました。

遠眼鏡とおめがね(VR)

現在でいう望遠鏡。江戸時代前期に日本に伝わって以来、軍事、測量、天体観測等、様々な用途に用いられました。
港に置かれ、荷下ろしをスムーズにするため、入ってくる船の監視を行ったり、湊に入る前に船上から湊の様子を知るために使用したりしました。本町には、紙を幾重にも巻いて作った紙筒製のものと、真鍮製の筒のものが残っています。

船内せんない(VR)

矢倉の上部中央に、矢倉の棟木を兼ねる二本の並行した太い角材があり、「歩桁(あゆみ)」と呼ばれています。歩桁は、帆柱を起倒するときにこの上を伝い歩くためこの名があります。
二本の歩桁の間は空間になっていて、帆柱を起倒するとき以外は、歩桁の上に「碁板(ごいた)」と呼ばれるほぼ正方形の多数の蓋板で多い、雨除けにしていました。

船内せんない(VR)

荷物を搭載する胴ノ間には「踏立(ふだて)」と呼ばれる床板を並べていました。これは取り外しのきくもので、荷物を積んでいないときは、踏立を敷いて仮設の甲板をつくり、航海中に綱仕事をしていました。
一方、荷物を積むときには、この踏立を外し、荷物を積み込み、荷物の上に苫(とま)を敷いていたようです。
また、ときには、積み込んだ荷物の上に踏立板を再びはめ込んだ後、更にその上に荷物を大量に積み上げ航海したこともあったようですが、 荒天時に波が打ち込んで来ると荷物は水浸しになてしまうというリスクもありました。

船箪笥ふなだんす(VR)

船だんすは、その形態により懸硯(かけすずり)、帳箱(ちょうばこ)、半櫃(はんがい)に大別されます。これらのうち懸硯は、船往来手形、仕切状、金銭、印鑑、筆など大切なものを入れるもので、多くは堅い欅材でつくられ、鉄製金具で補強されていました。
扉は右開きの大扉で、透し彫り金具や大きな錠前、蝶番などが扉全体に施されています。

船箪笥 引き出しふなだんす ひきだし(VR)

右開きの大扉を開けると、中は桐製の大小の引き出しになっています。

船箪笥 隠し箱ふなだんす かくしばこ(VR)

最下段の引き出しの奥には隠された空間があり、そこには蓋つきの箱が入っています。

船材

和船は、松材、杉、檜、欅、樫など多くの木材で造られています。南知多地域には江戸時代末期から明治期にかけての内海船に関する資料が数多く残されており、南知多町でも、内田佐七家の持ち船の部材を始め町内に残されていた様々な種類の船材、船道具資料を所蔵しています。
これらの資料は日本の廻船史上貴重な資料とされ、中には、本町にしか残っていない資料もあります。

船名額 (写真)

船名額(住光丸)
船名額(惠市丸)
船名額裏面(惠市丸)
船名額(冨吉丸)
船名額裏面(冨吉丸)

船名や縁起の良い言葉などを彫刻したり筆書きした額で、船体の中央にある居室内に飾られたものです。
なお、船の船尾の「結び」と呼ばれる部分には、船名を書いた板状のものを取り付けることが多かったようです。

鐘ノ尾かねのお(写真)

鐘ノ尾(伊勢丸)
鐘ノ尾(伊勢丸)刺繍部分
鐘ノ尾(伊勢丸)端部
鐘ノ尾(内田七郎兵衛家持ち船)
鐘ノ尾(内田七郎兵衛家持ち船)中身

「鈴ノ尾(すずのお)」ともいい、船の居室内にある神棚、仏壇の近くに吊るしたもの。
なじみの遊女からもらった縁起物といわれています。中身はおがくず。

炊きこんろたきこんろ(写真)

炊きこんろ
炊きこんろ
炊きこんろ
炊きこんろ
炊きこんろ

船内で使用されたこんろ。航海中でも安定するよう石で作られており、重心が低くなるようにくり貫き部分が下にあります。燃料は薪を使いました。

和磁石わじしゃく針筋記はりすじき(写真)

船磁石
船磁石
船磁石(底面)
諸国海上通路針筋(文久元年)
諸国海上通路針筋内容(文久元年)

いずれも廻船の航行に必要な道具です。和磁石の特徴は「本針(ほんばり)」と「逆針(さかばり)」の2種類がある点で、本針は、普通の磁石のように、方位の目盛が、子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)の順番で時計回りに刻まれ、逆針は、その逆で反時計回りに刻まれたもの。それぞれの用途や使い方が異なっていました。
本針は、自船の位置を知るために山や岬の方位を調べるため、手に持って目盛の北と磁針の北を合せる普通の使い方でした。一方、逆針は、目盛の北を船首方向に向けて船に据えつけて使いました。目盛が通常の磁石とは逆に刻まれているため、磁針の北が指す目盛上の方位は、そのまま船の進行方向を示していました。日本独自のアイデアで、船乗りにとってとくに便利だったため「船磁石」とも呼ばれました。
針筋記は、各地の航路(船道)ごとの舵の方角(針筋)を場所別に記したもの。 どの廻船も携帯用の針筋記を常備していました。

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