船内について

町内に残る史跡

古文書

町内に残る史跡

泉蔵院せんぞういん

泉蔵院
泉蔵院
泉蔵院
泉蔵院

奈良時代初期の神亀年間の創建と伝えられる寺院(真言宗豊山派、本尊は薬師如来及び阿弥陀如来)で、内海船主で組織する「戎講」の総会の会場ともなっていました。
境内には、内海の大船主前野小平治が寄進した金毘羅堂拝殿(文政7年9月、1824)や備後尾道の商人(大紺屋貞兵衛、竹原屋七郎右衛門)が寄進した石灯籠(文政7年6月、1824)など、内海船の活動と深く関わっていたことがわかります。

高宮神社たかのみやじんじゃ

本殿、拝殿
鳥居、石階段
狛犬
東端の船主たちが寄進した鉄釜
吊灯篭

永禄5年(1562年)の創建(祭神は大神宮荒御魂)といわれ、かつて内海船の船主達が多数住んでいた内海川河口を見下ろす山上に建てられています。
本殿、鳥居、石段(173段)は天保5年(1834)に内海の大船主・前野小平治が寄進したもの。
その他、江戸時代後期から末期にかけて内海地区の廻船主たちが寄進した釣灯籠や狛犬、鉄釜などがあり、廻船主たちの信仰が篤かったと考えられています。

慈光寺じこうじ

慈光寺本堂
慈光寺山門
内田佐七家の墓
観徳丸船頭豊吉の日本海航海日記(安政2年)
あごなし地蔵

天文8年(1539年)創建と伝えられる寺院(西山浄土宗、本尊は阿弥陀如来)で、内田佐七家の菩提寺です。
墓所の入口には安政年間(1854年~1860年)に内田家の沖船頭(雇われ船頭)だった豊吉(後に、内田佐七家新家の初代佐造)が、子どもの安産を願って隠岐の著名な地蔵を分祀して持ち帰ったといわれる「あごなし地蔵」があり、お参りすると歯痛が治るといわれています。

西岸寺せいがんじ

西岸寺本堂
西岸寺山門
お吉親族の墓
お吉出生地跡
お吉

天文6年(1537年)創建と伝えられています(西山浄土宗、本尊は阿弥陀如来)。
泉蔵院同様、内海船主で組織する「戎講」組合の総会の会場になったこともある寺院で、墓所には、幕末期の悲劇のヒロイン「唐人お吉」の親族の墓があり、お吉関係の資料も残されています。

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